メッセージ

母校だより

大津緑洋高校は学科により校舎が分かれています。
普通科「大津キャンパス」農業科「日置キャンパス」水産科「水産キャンパス」
各校舎よりお便りをお送りいたします。

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山口県立大津緑洋高校 校長
原田 治幸(はらだ はるゆき)

初回コラムは母校だよりに掲載しています。
ぜひご覧ください。

 

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長門市長
江原 達也(えはら たつや)

大津緑洋高校東京同窓会会員の皆様には、益々ご清栄のこととお喜び申し上げます。遠くはるかより本市政各般にわたりご理解とご協力を賜っております ことに対し、まずもって厚く御礼申し上げます。
私の母校でもあります大津緑洋高校におかれては、今日まで長い歴史と伝統を受け継ぎ、多くの優れた人材を輩出され、幅広い分野で活躍しておられますこと、卒業生といたしまして大きな誇りです。
特に会員の皆様におかれましては、それぞれの時代を力強く生き抜いてこられた中にあって、あふれんばかりの母校愛を注いでくださいましたことと、ふるさと長門をここまで支えてくださいましたことに深く感謝申し上げますとともに、敬意を表する次第です。
私は、令和元年11月に市長に就任し、「市民のいのちと生活を守る」ことを基本理念として、人口減少下においても持続可能なまちの創生を目指し、健康・医療・福祉・教育・生活環境の充実と地域経済の活性化に全力を尽くしています。
残念ながら現在は、新型コロナウイルス感染症の拡大により、先行きが不透明な状況下ではありますが、ウイルス感染拡大の防止と地域経済の回復との両立に努めながら、昨年ハード整備が完了しました長門湯本温泉街をはじめとして、風情ある温泉街並びにラグビーワールドカップの公認キャンプ地として注目された俵山温泉など、ふるさと長門の魅力再発見につながる素材の情報発信にも力を注いでいるところです。
加えて、アウトドアツーリズムやワーケーションなど本市の強みを活かした観光地ブランドの確立にも取り組んでまいりますので、引き続き、皆様のご厚情を賜りますようお願い申し上げる次第です。
結びに、大津緑洋高校東京同窓会の益々のご発展と、会員の皆様のご健勝ご多幸を心からお祈り申し上げ、ごあいさつといたします。

長門商工会議所
会頭   中原 文典
専務理事 湯野 武男

東京同窓会H Pのリニューアルに当り一言ご挨拶申し上げます。
私は昭和32年の生まれで、大津高校を経て日本大学工学部を卒業しました。卒業後は、住宅メーカー勤務を経て、家業の総合建設業㈱中原組に入社しました。
営業担当でしたが、10年前兄急逝により、同社及び関連の生コン・不動産会社の3社の社長に就任。
建設業・生コン業は県内中心、不動産業は県内と福岡・東京でも営業しております。4年前からは、長門商工会議所会頭を拝命し地域経済の発展に微力を捧げています。同窓の皆様には、商工会議所活動につき、ご提言等ありましたら、アドバイスよろしくお願いします。
ところで、いま長門市は県内でも元気のある町として注目を集めています。
数年前から取組んだ「ながと成長戦略事業」の成果で、道の駅「センザキッチン」開店、湯本温泉では星野リゾート誘致・温泉街再開発等の実現、元乃隅神社の人気などもあり、市の観光客 数は平成17年の124万人が平成30年には253万人と倍増しました。
しかし、わが故郷がこれから更に飛躍するためには、経済の中心地たる東京近郊在住の皆様のご支援ご協力が欠かせません。
東京近郊には、郷土出身の経営者や活躍中の同窓生が沢山いらっしゃいます。
どうか、大津緑洋高校の広いネットワークで「ふるさと長門」の応援をお願いします。
最後に、同窓生の皆様のご健勝ご多幸を心からお祈りしご挨拶とさせて頂きます。

長門時事新聞社 社長
武安 義博(たけやす よしひろ)

「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しく歌うもの」金沢出身の詩人、室生犀星(1889年~1962年)の「叙情小曲集」に収められている代表作です。望郷の詩句として名高いことは誰もが知っています。犀星が金沢に帰郷した時に創作したと言います。東京で苦しい生活を強いられ、かといって、懐かしい金沢に帰郷しても温かさを感じられない―その悲哀や故郷への愛憎半ばする思いが、この代表作を生んだとの評価が一般的です。この詩に象徴されるように、故郷とはまさに人々にとって複雑な感情を呼び起こす場所ともなっているようです。
◇     ◇
大津緑洋高校・東京同窓会の会員の皆さんにとっても、故郷「長門」への思いは様々でしょう。若い人にとっては新しい世界に飛び込むため、古いしがらみを断ち切るための象徴のようなものにも映り、その一方で、ただ純粋に切ないまでの愛情を抱いて振り返る人もいるでしょう。そんな一時的な思いは人によって色々ですが、故郷が完全に過去の存在になった時、故郷のすべてが美しく、そして懐かしく思えるものになる―とも言います。
◇    ◇
 その記憶の中心にあるのが高校時代ではないでしょうか。誰の心の片隅にも、その時の思い出が輝きを放っています。母校の大津緑洋高校という名称は、10年前、県立高校の再編で誕生した新校名。統合前の「水産」「日置農業」という「海洋学・水産業」、「農業」の2つの専門校と、「大津」の普通校の3校が統合し誕生しました。現在、それぞれの特色は、キャンパス方式という形をとり、3校の名前が付いた「校舎」という枠組みで引き継がれています。各校舎で過ごした3年間の体験が、会員の皆さんをはじめ卒業生の将来の人生に大きく影響したことは言うまでもありません。以前、会員の皆さんが交代で講師を務められていた勉強会「大津塾」を取材させていただき、弊社の「長門時事」に、その講演内容を連載させていただきました。母校での3年間が、講師の皆さんの人生の礎を築いていることを強く感じました。その体験談は、母校の生徒たちにも大いに刺激になったようです。そんな東京同窓会の特色ある活動は、東京首都圏で活躍されている皆さんと、母校や故郷長門との連携を深めるきっかけになったように思います。
◇    ◇
それをさらに深化させたい―そんな思いから、しばらく休止していた東京同窓会のホームページが復活しました。会員の皆さんと、母校や長門とを結ぶ懸け橋であってほしい―との願いも込められています。「“長門の広告塔”としての役割も担っていきたい」―編集を担当する東京同窓会副会長の末永明さん(大津高29期・油谷津黄出身)は情熱を注いでいます。ホームページが、会員の皆さんの活動をはじめ母校や長門の情報発信の拠点となり、東京同窓会と長門との絆を深める重要なツールになることは間違いないでしょう。
◇    ◇
犀星は「ふるさとは・・」の詩の中で「東京に行けば金沢が故郷になる、金沢に行けば東京が故郷になる―この逃げ水のような存在が故郷だ―ということが言いたかった」と解説する研究論文もあります。東京にいる会員の皆さんにとって、今は長門が故郷に違いありませんが、東京から長門に生活拠点を移せば東京が懐かしい故郷にも感じられることでしょう。長門にUターンする人が増えれば当然のことながら長門の街は、少しは賑やかになります。復活したホームページが東京同窓会と長門との交流を活発化させ、これがきっかけとなって、長門に帰郷し東京が故郷と思える人が増えるかもしれない―遠い長門の空からそんなことを切に願っています。