直島在住の山根光惠さんより「帰ってきた黄色いかぼちゃ」を寄稿いただきました。

山根さん(大津高 昭和37年卒)は東京在住の時に、築地西本願寺で浄土宗本願寺の布教使になられました。

現在は岡山県玉野市に近い、香川県直島にお住まいです。直島はベネッセコーポレーションが

力を入れ 草間彌生さんの「赤カボチャ」や「黄かぼちゃ」を初め野外彫刻品が設置され

安藤忠雄さん設計の「地中の美術館」など有名なスポットになっています。

日本子守唄協会(現在ララバイ協会)初代会長の西舘好子様との交流から機関紙「ララバイ通信」

に執筆されております。その中からを寄稿頂きました。

 

    南無庵 庵主 山根光惠

              山口県長門市

       浄土真宗本願寺派布教使

 

                                        「帰ってきた黄色いかぼちゃ」

 

いつも、11月になると、みんなとかわす言葉は同じ、「もう今年もおわり?そう」、

5かいめの瀬戸内芸術祭も無事終了。コロナ禍もあり、いつもの60%しか来場者が

なかったとの発表であったが、特に厳しい制限もない中で終了できたことは、

本当に良かったと思う。

 

    次は3年後の開催予定である。

 建築家の安藤忠雄さん、ベネッセの福武会長さんが、お二人のこれまでの集大成として、

新しい美術館を作る予定であると、住民への説明もあった。コロナの事も、そのころは

昔話になるようであってほしいと切に望むところである。

今回の芸術祭の締めくくりは、なんといってもきいろいかぼちゃが無事にもどって、

もとの位置に収まったこと。ほんとうにうれしいことであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一 年前、8月の台風の時、ベネッセのビーチホテルの海辺での、シンボルであった黄色いかぼちゃが、

はげしい雨風とともに、波間に消えていったときは本当にショックであった。波間に漂い、浮いたり

沈んだりしているかぼちゃの様子をネットでみたときのことは、今でも強烈な印象としてこの目に残っている。

 幸いにも、引き上げることができて、1年後の今月の10月に無事に修復もできたとのことで、

元の位置にかえってきた。

   ちかくに住んでいることもあるが、この1年、近くに来た時、かつてかぼちゃがあった場所が、

台座だけのむなしい様子を見るにつけても、寂しいなと感じていた。

10月になって、修復されたかぼちゃが、元の位置に置かれたということをきき、すぐにいってみた。

近くによって思わず「お帰りなさい。よかった!」と声がでた。

草間彌生さんといえば、ドット柄、無数の、大小の点々、に包まれた地色のきいろいカボチャは、

ピカピカにひかっている。いまエステルームから出たばかりのような輝きでうつくしい。

思わず、かぼちゃをぐるりとなでながらまわってみた。

   そして無数のドットはどこからかきはじめたのだろうと、おもった。

「無始無終」(ものごとは、始めもなく、終わりもない。はじまるまえもあり、おわったというそのあともある。

すべてはつながりあった円である。)というのが佛教の真理と学んだことをおもいだす。

    草間さんは、ドットを書き始まるときは、長い瞑想の後から書き始めると自身の本にかかれていた。

おそらく、どこが書き始めですかと、きいても、明確な返事はないのではないかと思う。

始めとか終りとかの執着をこえたものが草間さんのアートのようなきがする。

そして黄色という色は、愛しい人を待つ時のいろとして、表現されることが多い。「

幸せの黄色いハンカチ」という高倉健と武田鉄矢の映画が、すぐ思い浮かぶ。

あの映画のラストシーンに、私はあなたの帰りを待っています。と恋人が黄色いハンカチを

屋根いっぱいに飾って彼の帰りをまっていたことを表現する場面があって、とても印象に残っている。

また、過去に、イランのアメリカ大使館人質事件があり、長い間の国同士の交渉の結果、

人質の解放が決まり、帰ってくる人質たちを、大統領が執務室のいすでまっているとき、

そのよこには黄色いハンカチが、飾ってあったことをテレビの画面で見たことを覚えている。

 

世界中がコロナという色も形もない見えない敵とたたかった。平和で穏やかな今までの生活を

心より待ちわびる気持ちの表れが、きいろいかぼちゃの帰還ではないかと思う。

愛しい人の帰りを待つように首を長くして待っていた私たちの気持ちを「大丈夫」

と分かってくれたような気がする。

 

「お帰りなさい。」「待ってたよ。」